Dear 01 怪盗の子

   六、

 いのししの刻。仮眠を取った二人は管理棟を後にする。雪で足を滑らせないように互いに注意を呼びかけ合いながら崖の上を目指す。
 崖の上にはたった一軒、白い建物があった。そこから見渡す海は地平線の彼方まで一望できる見晴らしの良い場所だ。
 加藤の話によると、元々この建物は教会として利用されていた。数年前、祭司と名乗る芹沢せりざわが内部改装を進めたことをキッカケに建物の用途を孤児院として運用することになった。町中は多くの子供が遊ぶようになり賑わったそうだ────……二ヶ月前までは。
 明かりは点っていない。それは就寝時間としての暗さでは無い。街頭は消され、月明かりだけが辺りを照らす。
 二人は物音を立てないように注意しながら周囲を調べていく。ヒトの出入りがあるような真新しい足跡はいくつか見受けられたが、二人の目からはどれも子供のものとは思えなかった。
 窓はどこを覗いても学校の廊下と思えるような真っ白な床が見える。一見なにも無さそうに見えるが朝日の耳には微かに唸り声のような音が聞こえてきた。
「何か聞こえねぇか?」
「ん? なんも聞こえねーけど」
「……気のせいか」
「怖いこと言うなよ朝日……」
 西側の入り口から一番遠い窓。ここだけは施錠されていない。朝日は指紋が着かないようにビニール製の手袋を装着し、慎重に引き戸式の窓を開く。
「……連絡してみるか」
 仮眠前にルフの出張役所へ住居捜索依頼のメッセージを入れたが、未だに返答は無かった。沢井より共有された窓口宛ての連絡先に通話する。ルフは漁港町のため、フェレアほどの規模の役所を設けていないが、出張役所であれど二十四時間体制である。コール音は鳴らない。自動音声で連絡先は使用されていない旨のアナウンスが流れる。
「繋がらねぇぞ」
 努も同様に連絡するが同様のアナウンスが流れる。その間に朝日はショートメッセージから“ヨッシー”宛てにルフの出張役所の連絡先を確認する。直ぐにレスポンスが戻ってくるが沢井から共有された番号と同様だ。
「しょうがねーな」
 朝日は窓の屏に手を添える。小さなかけ声と共に屏を飛び越え侵入する。
「なぁ朝日。ホントに行くのか? 上から許可下りてねーし。それに……床にクモとかムカ……ああ、口にするのもおぞましい。足多いやつとか踏んづけたら……どする?」
「んじゃ、俺一人で行ってくるぞ。外の見張りは宜しく~」
「ああ! だから俺っちを置いていくなよ!」
 努は罪悪感を感じながらも同じように屏を跳び越え、暗闇の中へ溶けかけている緑髪の後を追う。
 ────この前、事後承認で陛下にこっ酷く怒られてんのにな……。
 ヒトが住まう住居の捜査や探索にはプライバシーに関わるため、次のいずれかの手続きを要する。
 一つは調査対象の住居がある町の役所から政府へ連絡を取り次いで王、もしくは最終執行権を与えられた王族の書面を用意してもらう方法だ。もう一つは警兵へ取り次ぎ、士官以上の書面を用意してもらう方法だ。
 前者については朝日にも最終承認権を与えられている。だが、権利乱用防止のため里見の隊員として、、、、、、、、携わる間と、自身が携わる事案については自己処理として進めることは禁じられている。町の住居情報はその町にのみ管理されているため、別の役所から取り次ぐことは不能だ。朝日を含めて役所間の情報共有化を進めているのだが頭の固い政府のヒトにより進まない状況が続いている。
 後者の方法は里見からの要請に対し後回しするヒトへ当たることが多々ある。また、警兵側に共有することで逆に捜査や探索が難航することがある、、、、、、、、、、、、
「あくまでもやむ終えず、、、、、、だぞ」
「しゃーねーな。どこまでも着いて行きますよ隊長さん?」
「……神樂からのその呼び方は慣れないんだぞ」
「んじゃ主様、、か?」
「やめろやめろ」
 廊下を進む。窓の多い建物のため、そこから差し込む月の光を頼り足下や壁側の掲示物などを確かめていく。規律と書かれたわら半紙には起床はひつじの刻。常に整理整頓。譲り合い精神を大切に。犬の餌やりは朝のさるの刻、昼のうしの刻、夜のさるの刻の三回────など、集団生活を行う上でごく普通の内容と思われる。
 二人は扉を発見する度にノブを回して部屋の中を確認する。どの部屋も格安のビジネスホテルの客室のような造りである。しかし、ベッドには皺一つ無い。ここ最近までヒトが利用していた気配を感じることができなかった。
 いくつの部屋を確認したのかが分からなくなってきた頃、ヤカンのピクトグラムが印字された扉を発見する。そのそばには部屋の消灯用と思われるボタンが備え付けられていた。
 ボタンがあれば押してみたくなるのがヒトのさが
「ポチッとな」
 努は小さなかけ声と共に突起物を押す。カチッとスイッチの入る音と共に扉の隙間から光が零れる。朝日はそっとドアノブに触れ、捻る。ゆっくりと前に押し、開いた先を確認する。
「うっ」
「うぇ!?」
 二人は絶句する。そこは“血まみれの給湯室”だった。
 部屋の中は強烈な生臭さで満たされている。鼻がねじ曲がりそうなほどの異臭もする。互いに自身の服の袖で鼻を覆う。朝日はジッと部屋の中を見つめ“天地創造の言葉”で問う。
キュー、アジョウルボル、スモウ、サークルこの部屋に気化しやすい劇薬はあるのか
 タトゥーを隠すシールは仄かに赤い光が灯る。脳裏に語られる。「ヌーいいえ」と。一つ、真実を得た代償で蓄積されている体内の言魂を全て失う。暫くは属性を伴う術や技を扱うことができそうに無い。
 臭いを含め、気中に漂うモノは人体には影響が無いと判断し、改めて中を確認する。
 ステンレス製のキッチンシンク。前面がガラス張りの食器棚。ヤカンが乗せられたガスコンロ。そして最近話題の“マイクロ波オーブン”。どれも血液が飛び散った跡が残る。硬質的でつるつるとした表面をもつ水色の床と、経年変化でやや茶色く変色した白い壁には赤黒い染みが残る。食器棚に収納された皿の一部は欠けたものと割れたものまで収納されていることが部屋の入り口からでも把握できる。
「スプラッタ映画かよ」
「こりゃー間違いなく黒だぞ」
 二人は部屋へ入る。朝日はまずキッチンシンクの流し台を覗く。ほんのりとピンク色に染まった水が張られている。水面には水桶が浮かび、中には中華包丁の刃だけ、、、が入れられている。刃先には血がベッタリと付着したまま放置されている。調理台下には左右に開く式の収納用の扉が備え付けられている。それを開くと包丁差しに収納された包丁がズラリと並べられている。
「葉切包丁、三徳包丁、牛刀包丁、鎌型包丁、パン切り包丁……これは冷凍包丁、出刃包丁、柳刃包丁、こっちは筋引き用だろ……シェフでもいるんだぞ?」
「朝日、お前よく知ってるな」
「そりゃ毎日使っていりゃ覚えるもんだぞ」
「使わねぇよ」
 努は食器棚の引き出しを確認しながら朝日の独り言に突っ込む。引き出しの中身には特に変わったものは無いように見える。
 努は食器棚を離れ、キッチンシンクに隣接するガスコンロを確認する。台の上は血が飛散している。元栓を捻り、タバコ用に持ち歩いている着火装置をコンロに近づける。火は点らない。ガスが供給されている様子が無い。ヤカンを持ち上げると何か液体が入っているような重みを感じる。そっとヤカンの蓋を開けると赤黒い液体が入っている。鉄分に近い香りが努の鼻を刺激する。嫌気が差し、ヤカンの蓋をそっと閉める。ガスコンロ周辺の床に五百ゼニ分の硬貨が一枚だけ落ちているが、面には血が付着して拾う気にもなれない。
 相方に「血が入っている」と伝える。朝日は「そうか」とだけ答えながらマイクロ波オーブンに近づく。
 オーブンは四方面より対流熱を外側から、、、、加えて温める調理器具だ。対するマイクロ波オーブンは電磁波により内側から、、、、食品を加熱させるものだ。前面の磨りガラスになにか塊のようなモノが付着している。扉を開けるとぐちゃぐちゃになった肉片が血液と共に四方にへばり着いている。調理対象の食品を置くテーブルには、ぺちゃんこに潰れた生き物の目玉が一つ置かれている。それの正体が何であるのか理解してしまった朝日はゾっとする。そっと扉を閉める。努は何が入っているのかと尋ねるが、朝日は「今は見るモノじゃないんだぞ」とだけ伝える。
 他に目星がつくものは……と、改めて周囲を見渡す。作業机の下を覗く。そこには膝ほどの高さな冷蔵庫と思われるものが置かれている。扉には子供のヒトの手形が血液で彩られていた。
 袖口から鼻を離す。何も鼻や口を覆うこと無く行動することができるようになる。異臭に慣れ始めてしまったこと、扉が開けっぱなしとなっていたため、室内は十分に換気されていた。
 朝日はビニール製の手袋を着け直し、冷蔵庫の扉に手をかける。
「テーブルトークゲームでいう“正気度チェック”が入りそうだぞ」
「やめてくれ……本当にやめてくれ……でも確認してくれ朝日……」
 怯える努を傍らに無心で扉を開く。ボトンと鈍い音を立てながら扉との隙間に何かが落ちる。二人は覗く。それの正体を理解した努は青ざめる。声にならない声を上げそうになり、必死に両手で口元を覆う。
 中身は子供の両腕と右足首だ。血液と共に袋詰めにしてカチカチになるまで冷凍されている。ビニール製の袋は真っ赤に染まっている。体の部位の切断面は感心するほど綺麗だ。
「冷蔵庫じゃなくて冷凍庫か」
 朝日がさらに中を確認する。子供の体の部位や内蔵が同じように袋詰めされて冷気にさらされている。
「考えたくねーが孤児院の子供のってところだぞ」
「危うくチビりそうになったぜ……趣味悪ぃっつうの」
 二人は早めに警兵を呼ぶことに決める。できるだけ現状保持するために元に戻す。最後に身元の分からない子供達の弔いになるよう、両手を合わせて祈る。
 部屋の外から足音と二人ほどの男性の話し声が聞こえてくる。
「誰かいるのか? 給湯室に明かりがついているぞ」
「扉も開いてる」
 駆け足で部屋に近づいてくる。
「誰だ、そこにいるのは!?」
 見るからに一般人のような装いの男性が二人。武器を所持している。一人は槌、もう一人は細身のナイフを右手に構えていた。朝日と努に襲いかかる。
 無我夢中で武器を振りかぶる様子から戦闘慣れしていないと努は即座に感じる。隙を見つけ槌を持つ男性のはらわたに目がけて強く拳を入れる。
 ナイフの男は朝日に目がけて何度も何度も何度も突く。しかし緑髪の男に掠りもしない。顔色一つ変えること無く全て回避されてしまい、男は頭に血が上り始める。冷静さを失い、大ぶりに斬りかかる。そのタイミングに合わせてバックステップ。渾身の一撃は空を斬る。朝日の残像すら残されていない。彼は男の背後に回っていた。容赦無く首の後ろへ手刀を入れる。
 二人の男達は意識を失い倒れ込む。ナイフの男の方からは複数の金属音がする。
 朝日は男の身辺を確認すると、ポケットの中から鍵の束を発見する。槌を持った男からも同様の鍵と通信機が発見された。
 通信機を開きパスワードの入力画面が表示される。
「これ解くの時間かかるやつだぞ」
「鑑識に回すか?」
「一、二、三、四っと」
「んな単純なわけな……え」
 ロックが外れてホーム画面に移る。所持者のずさんな管理に呆れる中、着信履歴とショートメッセージの履歴を確認する。鴻池組の関係者と思わしき人物の名前が並ぶ。
 一件、新着でグループ用メッセージが入っている。二人は内容を確認する。

 上物の娘を捕まえた。買い手は見つかっている。
 多少の躾は構わないわ。体は綺麗にしておきなさい。 
 ただし、先方は未経験はお断りみたいよ。
 彼女が処女であることは間違いないわ。開通は別の幹部が行う。
 確実に手懐けて二十四日に流す。

 文面の雰囲気より発信者は女性のようだ。
「開通って……アレ、だよな?」
 努は恐る恐る尋ねる。
 朝日は答えを返さなかった。眉間に皺を寄せ、自身の通信機で税に連絡する。ワンコールで応じる。受話器越しにカタカタと何かを打つ音と、高音域のモニター音が頻りに鳴っている。税のそばにもう一人誰かが存在している印象を受ける。
「要件だけ伝えるぞ。まずは警兵の要請を。ルフ漁港付近の孤児院内の給湯室にバラされた子供の部位を発見。孤児院の子供達は鴻池組関係者を通じて売られている可能性が高い。風間と神樂のみで独断で、、、潜入調査を進めたが、確認したのは一階の部屋のみだ。途中、関係者と思わしき男性二人に襲撃され今は気絶している。男の所有物の中に鍵の束と通信機を発見。新たに拉致されたと思われるヒトの情報が記載されていた。次の取引は明日、一月二十四日二十四度目の睦びの月を予定しているようだ。現行犯で捕まえられる可能性があると蜂須賀に連絡を。関係者の逮捕状は近衛このえのオッサンがまだ起きてるだろうからそこから貰うように伝えるんだぞ」
 一度息を整え、続けて話す。
「次に、今から電話番号を教える。その端末に入っている最新のショートメッセージの発信元を特定してほしい」
 早急にだぞ。電話相手が承知した旨を伝えた後、朝日は通話を切る。続けて新着メッセージが一通届く。送信者は“ヨッシー”と書かれている。メッセージには地図ファイルが添付されていた。文面には警兵に連絡済みであることも添えられている。
 努は口笛を吹く。
「ババァの特定えーな。場所は……ルフの倉庫か」
「ここから走って十分くらいのところみたいだぞ」
 二人は入り口の方へ向かう。正面の扉を開き屋外へ出れば雪は完全に止んでいた。
 東の空側からバタバタと音が聞こえてくる。プロペラを回し、飛行に特化した俥が孤児院へ近づいてくる。
警兵あいつら来るの早くねーか?」
「蜂須賀のことだ。向こうもいろいろと調べていたに決まっているんだぞ。気になることはまだあるが俺たちの管轄外だからな、、、、、、、、、、、……急ぐぞ」
「おう」
 崖を降り、南西方向へ走り出す。
 ────未経験か。こういうときにヤられた傷は一生残る。
 触られる前に助け出さねばと心に決めた。