Dear 01 怪盗の子

   三、

 頬から足先まで冷たさを感じ、少しずつ意識を取り戻していく。凪は路上でうつ伏せになって倒れていた。耳鳴りが酷く、酷い貧血のような感覚だ。立ち上がりたくても体の末端まで動かすことができない。動くことを億劫に感じてしまう。
 ゆっくりと吸い込む冷たい空気と同じ速度で吐き出す息は同じ温度のように感じ、自身が生きているという実感が湧いてこない。
 ────あぁ……そろそろ私、死ぬんだな……。
 “失踪した父親”の姿を脳裏に浮かべる。もう一度会いたかったと思いながら目を閉じる。この身が土に還るように、自然に身を任せて全身の力を抜いた。

 ザクザク。ザク、ザク、ザク……。
 遙か遠くへ意識が飛び立ちそうになる最中さなか、複数のヒトの足音が凪の元へ近づいてくる。重い瞼を開けば、前方には厚手の服を着込む大柄な男性が二人いる。一人の男は倒れる凪の後ろ首を掴み上げ、躊躇いもなく後頭部を殴る。
 一瞬、視界が真っ赤に染まる。ギリギリのところで意識が途絶えずに済む。男は加減して凪を殴っていた。これは威嚇。無駄な抵抗をさせない程度に怯ませ、弱らせるつもりのものだった。
 もう一人の男の背後からさらにヒトが近づいてくる。女性だ。極寒の中、夏の時期に着るような胸元や腹部、太ももを大きく晒した服を身につけている。
 女は最新の通信機器に電源を入れる。画面に表示される何か、、と凪の顔を何度も見比べる。同一人物と確信する。毒々しい色をした唇は三日月を描く。
「連れて行きなさい」
 女は合図する。男性二人は大人一人を納められそうな麻袋を用意する。その中に凪を入れる。一人の男は米俵のように担ぎ込む。三人は街の外へと繋がるゲートまで駆け足で向かう。
 凪は身動きの取れない中、怯えながらも外の音を懸命に拾う。戸が開かれる音が聞こえてくる。男たちの掛け声とともに全身を強打する。袋ごと投げ入れられたと予測する。
 ようやく麻袋から解放される。そこは木造の密室空間の中であった。ガラの悪い三人の男が凪を囲う。怪しげにあざ笑う。
 その中で一人の男は灰色の御札を取り出して凪に飛ばす。札は青白い光を纏いながら分裂し、凪の体へベタベタと張り付く。指先どころか口唇すら微塵とも動かせず、声帯も機能している気がしない。辛うじて呼吸ができ、意識ははっきりしている状態だ。残りの男たちはナイフを取り出す。彼女が身につけているものに刃先を立てて亀裂を入れる。全て破り捨てて生まれたままの姿へ変えていく。両手両足を取り押さえられ、縄と手錠と首輪で凪を拘束する。
 馬の鳴き声と共に“荷台”が揺れ始める。
「ちょっくら寝てろ!」
 一人の男は怒鳴るように言い放ちながら小瓶を取り出す。蓋を開け、中に入った“小さな布”を摘まんで凪の口許を覆う。抵抗する間も無く、布に染み込んだ薬の香りを吸い込んでしまう。視界がぐらりと傾いた。

「おい、起きろ!」
 男は罵声と共に腹部を蹴る。丁度胃の辺りだ。少量の胃酸が口から飛び出す。
 口内がヒリヒリする。汚物で汚す床から無理矢理体を起こされ、同乗していた男が所持するミネラルウォーターを凪の口の中へ注ぎ込む。飲み込みきれず噎せれば暴言とともに彼女を殴る。
 荷台の揺れが無くなる。扉が開かれ、虚ろな目の凪を引きずり下ろす。凍てつくような寒さが素肌を擦る。
「上物だ、あんまり傷つけるなよ」
 荷台の下で待ち構えていた大柄な男たちは凪を担ぎ上げ、海辺の倉庫へ運んでいく。
 倉庫の中は薄暗い。明かりはジジジッと音を立て、今にも切れてしまいそうだ。固くて冷たいアスファルトの床へ無造作に凪を投げ捨てる。痛みで蹲っているところ、ヒトの影がかかる。あの露出度の高い女だ。無愛想な表情で見下しながら顎で指示する。後ろに控えていた下っぱらしきヒトが凪へ近づく。
 目隠しをされ視覚を奪われる。恐怖心をより掻き立てられていく。愉快そうな奇声と罵声を浴びせながら周囲の男たちは攻撃する。
 ピシャン。
 殴打とは異なる鋭い痛みが足下に走り抜ける。
「んんっ……」
 凪はくぐもった声をあげる。目隠しの布が少しずつ濡れていく。
「アタシよりもいいカラダしてるの、ムカつく。チビのくせに!
 この胸とお尻……今までどんだけの男をたぶらかしたの? ねぇ? ねぇ?」
 女は気に入らない、気持ち悪いと言いながら、ホースのように太い鞭で快楽に身を任せるまま打ち付ける。
 鋭い痛みが停止する。凪の下半身に異物感を感じる。全身に鳥肌が立ち、体は硬直する。グリッと音を立てて腹部の方側を擦られる。ぐちゅぐちゅと粘質的な音を残しながら一気に引き抜かれる。
 ────なに……今の感覚。
 考えたくも無い。太さとして指ぐらいのものが一瞬“胎内”に入ったのだ。
「ふーん、痛みで感じるんだ。結構濡れやすいのね。上物の中の上物……これは高く売れるね」
 女は凪の頬に触れながら土で汚れた髪を一房掴む。触り心地が良く艶やかな黒髪。女の心は妬みで染まっていく。
「見たところ染めていないみたいね」
 やりなさいと、女の指示と共に小刀を持った男が近づく。抜けてしまいそうなほど髪を引っ張り、肩甲骨まで伸びたそれに刃を当てる。ジョリジョリと聞き慣れない音が耳に残る。毛髪が素足の上に落とされ、視覚を奪われた本人も何をされたのかを理解する。涙で飽和した目隠しの布から水滴が零れる。止まる気配は一切しない。
 五年前、あのお兄さん、、、、、、に綺麗な髪だぞと言われていた。外からのヒトで、異性からそのように言われて嬉しくて伸ばしていた。
 負の感情が心を満たす。悲しくて胸が痛い。恐怖で壊れてしまいそう。
「……あ……アア……あぁ……、ぁあっああ!!」
 凪は叫ばずにはいられなかった。